「手紙」 オタク雑記2021年1月

麻倉ももさんは、前の年に住所を併記して手紙を出したファンにお返しとして年賀状を送る。

 

同じ事務所に所属する夏川椎菜さんによれば、事務所は関係なくデザイン・住所の管理を自分で行い、自腹で送っているのだそうだ。事務所主導でも嬉しいと思うが、自分の時間を割いてデザインや住所の管理をして数百人からは届いていると思われる手紙に対し、自腹を切って年賀状を送っていると思うと、言い表すのが難しいほどありがたいものだ。

去年までは直筆のサインが付いていて、2016年までは直筆のメッセージまで添えられていた。

今年はサインが直筆ではなかったみたいだが、"手間がかかるから" というよりも昨今の状況を鑑みて、"なるべく年賀状を触らないで送るほうがよいと考えた" んじゃないかと思う。本当の意図はわからないけどね。

年賀状のお返しを何年も続けているのを鑑みるに、手紙は麻倉さんにとって多かれ少なかれ意味のあるものなんだろうと思う。

 

良いか悪いかはわからないが、僕はまあまあな手紙魔で、イベントの度に手紙を書いていた時期もあった。時には2週間、1週間ごとに手紙を出したこともあった。

自分のもの以外にもかなりの数の手紙が届いてるだろうし、自分の手紙を読んでもらえてる保証はない。それでも届けなきゃ届かないので、自分が見たもの感じたことを書いて送った。

最初に挨拶を書き、ハンドルネームを名乗り、読みやすいように話のまとまりごとに行間を空けて、文字は大きく丁寧に、負担にならないようにレターセットの紙をなるべく2枚まで、多くても3枚目の半分までの文量で。最後にはハンドルネームと本名、日付を添える。試行錯誤して、そんな形式に落ち着いた。500文字くらいかな。さらっと読めるくらいの文量だ。短い分、伝えたいことが伝わるように、何を伝えたいのか自分に問いながら書いた。

 

なぜたくさん手紙を出したのという話。

麻倉さんは口下手で発言や行動をからかわれることが多かった。(僕は彼女が口下手とはあんまり思ったことはないんだけど、そのときの風潮としてはそうだった。)

イベントのMCで麻倉さんが気持ちを伝えようとしているのに、どこからともなく起こる笑いが嫌いだった。同じステージに立つ出演者が笑ってても雨宮天さんだけは笑わずに話を聴いていたりして、この人は麻倉ももの理解者なんだなと思った。

こんなことを書くと僕が "麻倉さんの話は何でもかんでも笑わずに真剣に聞け" って押し付けたい人みたいだけど、そうじゃない。笑い飛ばして良い話と耳を傾けて聴いたほうが良い話があるよねという話。

それから、「もちょはもちょ」なんて簡単に形容されてばかりなのも少し不満だった。確かに麻倉さんの魅力を言葉にするのは難しいので、仕方ないとも思っていた。

彼女がこういう風潮を本心でどう受け止めていたのかは知らない。気にしないときもあれば、楽しんでいるときもあれば、わざとぼけているときもあれば、不服なときもあったと思う。

 

大好きな地元・福岡を離れ、大好きな家族も置いて単身で上京し、18歳で社会人になった彼女を、僕はカッコいいと思った。

仕事なんてクソだと思っていた。社会人になんてなりたくないと思いながら大学生活をしていた。そんな僕の目には、子供っぽいと揶揄される麻倉さんがハツラツと仕事をしている姿が輝いて見えた。

社会に怯える僕よりもずっと強く生きる彼女を子供っぽいとは思えなかった。仕事をしながら "生きていて楽しい" と話す彼女は眩しくて、憧れた。

彼女には輝いたままいてほしい。彼女には "この仕事をやって良かった" と思ってほしい。どうやったらそう思ってもらえるかなと考えたとき、"伝える" しかないと思った。彼女が紡ぐ言葉、行った仕事をちゃんと受け取って、ちゃんと伝える。からかわれることの多かった彼女を見て、"僕はちゃんと受け取るんだ" と意気込んでいた覚えがある。今思うと少し恥ずかしいけれど。

 

"あなたのこの活動を見た。ここが好きです。"

"こんなことを言ってたね。あなたのこういう気持ちが伝わってきた。"

僕の手紙の内容のほとんどはこんな感じだった。かなり浅い内容だったかもしれない。麻倉さんにはとにかく "ちゃんと見てる人がいるよ" と伝えることが大事だと思った。まぁ時には的外れなことを書いたかもしれないし、どうでもいいことを書いたかもしれない。ただ、何通かに1通くらいは彼女にとってプラスになるような手紙があれば良いなと思った。続けていると次第に伝えたい言葉が溢れるようになった。書いても書いても伝えたいことが出てきて、話題を選ぶのが大変だった。

溢れる言葉をどうにかしたかったので、麻倉さんが掲載された雑誌の懸賞はがきにも何かしらの感想を書いて送った。書く内容は麻倉さんのことばかりだった。文章を雑誌に載せてもらったり、懸賞が当たったりと嬉しいことも起きた。懸賞当選に関しては感想が効いたのかただの運だったのかは知らん。

この、どこへでも良いから "手紙を送る" というのが彼女の活動に貢献できる最善の方法だと思ったし、今でもそう思っている。

 

何かを感じる。気持ちをしたためる。自分の気持ちが明確になっていく。気持ちを伝播させる。手紙を書くこの一連の行為は尊いものだと思う。

たまに "書きたいけど語彙力がない" と言って手紙を書かない人を見る。「好き」「楽しかった」それだけでいいと思うんだ。必要なのは誠実さだけ。

自分が昔送った手紙の下書きを読み返すと、大したことなんて書いてないのに「コイツ本当に楽しそうだな」と思う。楽しい時に単に「楽しい」と書けば本当に楽しそうに見える、言葉ってのはそういうもんだと思う。今の感情は今にしかないんだし、簡単でも良いから言葉にして残したり伝えたりするのはとても大切なことだと思う。

手紙を送ったことのない人は送ってみると良いよ。麻倉さんに限らず、好きな人にね。結構楽しいよ。

 

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2020年、僕は麻倉ももさんに年賀状も手紙も出さなかった。

ほとんどの活動は追っていた。何よりも、2020年は麻倉さんの久方ぶりのソロライブがあった。

 

11月に開催されたソロライブはこれまでとは違う様子のライブだったが、とても素晴らしいライブだった。本当に幸せな時間だった。間違いなく今年一番楽しい時間だった。

この気持ちを伝えようと、レターセットを取り出した。4月からのツアーで使おうと思って買ったものだ。ツアーが中止になったので、新品のまま仕舞ってあった。

 

・・・・・・書けない。 

いつまで経っても書けなかった。少し前まで無限に湧いていた言葉がうまく紡げなかった。話題をリスト化して優先順位をつける。自分が何を伝えたいのか明確にする。そんなこんなしても麻倉さんに伝えたい言葉が紡げなかった。

何を書いても上の空な言葉の羅列、送りたいと思えない。

 

「今年は1通も手紙を出してないし、来年年賀状を送ってもらうにはとりあえず出さないとな」

そんな考えが頭を過った。心底呆れた。このとき、僕はこの手紙を出すべきではないと思った。

 

彼女の存在はどんどん大きくなっているのに、今の自分は・・・・・。

 

 

 

 

2021年の年始、実家から自宅へ戻り開けたポストの中には、近所のお店のチラシが入っているのみだった。

「ああ、本当に去年僕は麻倉さんに手紙を書かなかったんだな」

よくわからない喪失感と寂しさがそこにあった。

 

 

 

でけえ人間になろう。

次に麻倉さんに手紙を書きたいと思ったとき、伝えたい言葉を紡げるように。

 

2021年1月

「Agapanthus」の涙

2020年11月14日と15日。
麻倉もも Live 2020 "Agapanthus" が開催された。



1日目の1曲目の「Agapanthus」。

麻倉ももさんの2年ぶりのライブが始まった。
布のシースルースクリーンを使った立体的な映像演出のあまりの美麗さに度肝を抜かれた。まるで「Agapanthus」のMVの世界がそのままそこに存在しているかのようだった。というより本当に存在していた。

あまりの美しさに、「とんでもないライブが始まってしまった」と唖然としていると、麻倉ももさんの歌声に異変があった。

涙。
いつも完璧にパフォーマンスをこなそうとする麻倉さんに、歌えなくなるほどの感情の揺れがあった。麻倉さんにこれまで見たことがないような感情の渦が感じ取れた。

中止になってしまったライブツアー。
変わってしまった日常。
そして、世の中が神経質で暗鬱とした、特殊な状況下での2年ぶりのソロライブ。

ライブツアーの中止で、1度準備したことがなくなってしまった。そして今回も、無事に開催できるかわからないライブだったし、相変わらず世の中は暗鬱としている。先の見えない中で準備してきた時間を思うと胸が痛くなった。

「頑張れ、大丈夫だよ」と念じながらももブレードを振った。目頭が熱くなった。こういう感覚になったのは3年前、リリイベの「No Distance」で麻倉さんが歌に詰まったとき以来だった。状況は今と違ったけれど。それ以降は頼もしさすらあって、パフォーマンス中に「頑張れ頑張れ、大丈夫だよ」と応援することはなくなっていた。


「Agapanthus」の涙の理由は、
「今の状況で、来られなくなってしまった人もたくさんいるんじゃないかな」
と不安があった中、ほとんど欠けのない客席とブレードの光を見て不安の糸がほぐれたからだと語った。2日目の言葉も借りれば、今まで経験したことのない状況下でのライブで、眠れないほど不安だったと。

この涙は、ファン、スタッフと共に作り上げるソロライブが、麻倉さんにとってどれほど大切なものか伝えてくれた。



麻倉さんは、自ら望んでアーティストになったわけじゃない。アーティストとしてやりたいことがないままデビューして、暗中模索しながら進んできた。今では「恋の歌」という軸を見つけて、さらには『僕だけに見える星』や今回のライブのように彼女のその時々の感情、考えを歌に乗せられるようになった。

「恋の歌」に至るまで、ずっと大切にしてきたのが「ファンとのキャッチボール」だ。この言葉は、アーティストデビューから間もない頃、アーティストとしてのビジョンがなかった頃のインタビューでも語られている。今回のライブを見たらすぐわかると思うが、今でも大切にしている軸だ。

「皆さんが応援してくださるから歌い続けたいという原点は変わらないですね。むしろ、その原点はこれからもずっと変わらないと思います。私が歌うことで、皆さんが大きな声援を返してくださって、それが嬉しいからまた私も何かお返ししたくなるという、素敵なキャッチボールができる活動なので、その相乗効果を楽しみにしながら活動していきたいです。」
麻倉ももフォトブック もちょあつめ、学研プラス(2017/6/27)より


恋の歌「Agapanthus」とそれを彩る美しい世界。
愛の花に囲まれた麻倉ももが、世界中の光を受け取って暖かい涙を流す。

この光景はまさしく麻倉もものアーティスト活動そのものだった。



今、気持ちのキャッチボールはなかなかしづらい状況になってしまった。でも、声も言葉も伝えられなくても、表情が見えづらくても、ただ好きだって思いや、楽しいって気持ちは伝えられるんだと思った。
伝えようとする意思と、受け取ろうとする意思で紡いでいける。

僕にとって麻倉ももさんのライブはとても大切な場所だ。そんなライブの景色が、僕自身も作っているこの景色が、彼女の力にもなっていることが感じられて、心が満たされるような気がした。


綺麗な景色だった。
本当に楽しい時間だった。
最高に幸せで楽しい時間だった。

ありがとう。

麻倉ももさんがカップヌードルを食べる様子を見た感想

www.youtube.com

もちょからのおしらせ(https://www.youtube.com/watch?v=Jf6SD7WLPrg)

 

2020日1月25日(土)

もちょからのおしらせという映像配信がありました(上のやつ)

この配信の告知がされてから、そわそわそわそわ。

 

アルバムとライブの発表はあるだろうな、

ライブはいつかな、

ツアーかな、

一会場だけかな、

ツアーならどこでやるんだろう、

もしかしたら「麻倉もも Fantasic Live 2018 "Peachy!"」の映像化があるかも?

もしかしたらもしかしたら、もっと別の何かがおしらせされるかも・・・?

牧のうどんとコラボとか?

もちょがひたすら食べてお酒を飲むだけのイベントやってほしいな、

なんでもいいからもちょがやりたいことをやるイベントをやってほしいな、

もちょはどんな風に"おしらせ"してくれるのかな?

 

・・・・・・

 

配信当日もそわそわそわと気持ちが落ち着かなくて、家の掃除をしていました。

といってもそわそわしてるだけなので、チマチマやって座って、また少しだけやって座る・・・みたいな感じで掃除はあまり進みませんでしたが・・・笑

 

麻倉ももさんからLINEが届いた。

とんでもない映像になってるらしい。

とんでもないんだ・・・。そわそわ。

 

そんなこんなで配信開始5分前にパソコンの画面の前に座り、コタツに入り、Twitterを閉じ、スマホを遠くに置き、配信が始まるのを待っていました。

 

 

 

全集中・オタクの呼吸

 

 

 

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2020年1月25日(土)18:02

 

もちょ様に覆いかぶさられるような構図で配信が始まり、「良い・・・」以外の感情を失った。

既に神配信。

1人で撮っている感じが良い、とても良い。

そして、さっそくもちょさんからおしらせが・・・!!!!

 

スペシャルな日なんです、1月25日は!

 

なんと・・・・・・私の両親の、結婚記念日なんです!!!!!」

 

 

!!!!!!!!!!!!!!

 

なんということだ!!

忘れていた!!!!

麻倉ももさんのご両親の結婚記念日!!!!!

 

2014年1月24日更新のブログに明記されているのに!!!!!!!

 

劇場版と星梨花ちゃん | 麻倉ももオフィシャルブログ「もちょっとおしゃべり」Powered by Ameba

劇場版公開の25日はお父さんお母さんの結婚記念日なんです~ヾ(≧∇≦*)/

  

こんなに大切なことを忘れていたなんて・・・

不甲斐なさのあまり机に突っ伏しそうになる衝動に襲われた。

しかし、もちょを見なければの一心でその衝動を抑え、再び配信に集中することにした。

 

すると、

 

「ちょっといいですか??

なんと・・・・・・ジャーーーーン!!!!」

 

(コンビニ(デイリーヤマザキ?)の袋からおもむろにカップヌードルチリトマトヌードル)を取り出す麻倉ももさん)

(数日の間ずっとそわそわしていた気持ちが嘘のように、楽しくてリラックスした気持ちに変わっていた)

(もしかして麻倉ももさんはそんなファン(オタク)の心理を読んでこんなゆるい感じに・・・?)

(オタク特有の深読み)

 

「この動画を撮るってなって、

"なんでもしていい" って話を聞いたので、

とりあえずもう、撮ってる時間がね、

時間も時間で。お腹が空いちゃって。

 

ちょっと食べてもいいですか?」

 

(ビリッッッ(麻倉ももさんがカップ麺の包装を破く音))

(ゴミをコンビニのビニール袋に入れる感じ、僕が普段やっているようなことを麻倉ももさんもやってる、すごい)

 

「言いたいことは色々あるんですけど、

腹が減ってはなんとやらといいますからね。」

「ちょ、まって、お湯がない!!

ちょっとまっててくださーい(ニッコリ笑顔)」

 

カップヌードルにお湯を注ぎにどこかへ消える麻倉ももさん)

(早送りで10秒ほどフレームアウト)

(え、やばい????楽しい????すごい、、この配信・・・・!!!)

麻倉ももさんがカップ麺を作っている様子を見ることができるなんて嬉しいことこの上ない)

(時々混ぜていたので作っている感があった)

 

「話すことがない・・・笑

なんだろうな・・・

皆何やってるんですかね?この時間って笑」

 

(ぶっつけ本番感が良い)

(僕は今、麻倉ももさんと雑談している)

麻倉ももさんと一緒に麻倉ももさんが食べるカップ麺ができあがるのを待てる喜びを感じる)

(世の中のほとんどの人間がこの配信の良さを知らずにこの世を去るのだと思うと残念でならない)

 

「ふーふーふー。ズズズ・・・ズズ・・・ズズ・・・ズズズズ・・・」

んーひー(おいしー(口を閉じながら))」

 

(麺をふーふーと冷ます音、麺をすする音、これはまさしく僕の記憶にある「ラジオどっとあい 麻倉もものもちょやまばなし」のコーナー "麺の細道" で聞いていた音そのものだ)

(僕は今感動している)

 

(もぐもぐもぐもぐもぐもぐ)

「ふーふーふー。ズズズ・・・ズズズ・・・ズズズズ・・・ズズ・・・」

(もぐもぐもぐもぐもぐ)

 

(口を拭くものを探す麻倉ももさん)

(口を拭きながらほころばせ、上下に揺れながら「おいひー」と言う麻倉ももさん)

 

「ふーふー。ズズズ・・・ズズ・・・ズ・・・」

 

「やっぱり、カップラーメンって、体にしみわたりますよね」

 

麻倉ももさんがカップラーメンを食べる姿が僕の体にしみわたった)

 

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さて。

以降の動画の内容でも語れることはたくさんあるのですが、とりあえずこの辺で配信を振り返るのはやめにして・・・

 

ずっと僕は待ち望んでいた・・・!!!!

 

麻倉ももさんが食べるだけの動画が見たい」

麻倉ももさんが食べるだけのイベントをやってほしい」

食レポなんていらない」

ずっと思っていた。

 

トラハモのイベントで麻倉ももさんがクレープやワッフルを食べれば会場は大盛り上がり。

イベント後は麻倉ももさんが食べた商品が売っているお店にイベント参加者による行列ができる。

 

僕だけじゃないはず!!!

麻倉ももさんがこんなにもリラックスしながらカップ麺を食べる動画を待ち望んでいたのは!!!

いや、アルバムやライブツアーの発表をするんだし、もしかしたら本当は緊張していた部分があったかもしれない。

僕には図り切れない、読み切れない。

しかし、どうあれ麻倉ももさんは、「リラックスしてカップヌードルを食べる麻倉ももを自ら提供してくれたのだ。

 

 

2016年8月28日

アニサマ2016・ハニワの日! | 麻倉ももオフィシャルブログ「もちょっとおしゃべり」Powered by Ameba

私は歌が得意なわけでもないし、人前でわーーってするのが得意なわけでもないので、ソロで歌ったりするのは、おー( ´⚰` ​) と思ってたんですけど、みんなと楽しい事したり、みんなが喜んでくれたりする事はたくさんやりたい!とは昔から思っているので、みんなが幸せ〜+.+。(*´p∀q`)って思えるような活動をしていけたらいいなあって思いましたって感じですかねーーー(o・∇・o)そんな感じ〜
何するんだろ〜?(o・∇・o)

 

アーティストデビューを発表した日から今までずっと言っている言葉。

彼女のアーティスト活動の根幹にあるもの。

 

「みんなと楽しいことしたり、みんなが喜んでくれたりすることはたくさんやりたい!」

「みんなが幸せ〜+.+。(*´p∀q`)って思えるような活動をしていけたらいいなあ」

 

そんな麻倉ももさんの気持ちが、

麻倉もも Fantasic Live 2018 "Peachy!"の一部映像化、

そして、"もちょからのおしらせ" でカップ麺を食べる

といったことに繋がったのかなぁと感じた。

 

"もちょからのおしらせ" でカップヌードルチリトマトヌードル)を食べる麻倉ももさんがやるライブツアー。

楽しくないわけがねえ!!

 

楽しみすぎて!!

全力で楽しむぞ!!!!!!

 

 

以上、

麻倉ももさんがカップヌードルを食べる様子を見て、

麻倉ももさんの2ndアルバムとライブツアーが絶対に良いものになると確信したオタクの感想でした!!

 

ライブツアー詳細↓

LAWSON presents 麻倉もも Live Tour 2020 "Agapanthus"

 

 

 

 

 

 

 

あ、

フラスタ企画やります!

初回中野公演と福岡凱旋公演にお花を贈ります!

一緒にお祝いの気持ちを届けてくださる方、ご参加お待ちしています!

twipla.jp

花の名前を冠したライブツアーにふさわしいお花スタンドを贈れるように頑張ります!

麻倉ももさんの「星空を想えば」を語る

麻倉ももさんの1stアルバム『Peachy!』に収録されている「星空を想えば」という曲について語ります!
パッと見、重ため?な文章になってるかもしれませんが、気楽な気持ちで読んでいただければ幸いです!!

 

 

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2018年4月1日
TrySail 2nd LIVE Tourの茨城公演が開催された。

 

私はこの公演に参加しなかった。
前日の千葉公演で千葉県出身の夏川椎菜さんの発表があるだろうし、連日で他の情報なんて出さないだろうと思っていた。

 

結果的に、この選択は間違っていた。

 

私が応援している麻倉ももさんが、未発表の新曲「ハピネスピース」を披露した。
「ハピネスピース」の初披露の場を私は見逃した。

 

麻倉ももさんがソロの音楽活動に関して新情報を発表した回数は、TrySailの他のメンバーと比べて圧倒的に少ない。
麻倉ももさんの新情報は、公式HPなどでしれっと公開されることが多い。

 

せっかく生で披露された貴重な機会なのに、
その数少ない場に私はいられなかった。
彼女を応援することができなかった。

 

私がそのツアーで参加しない選択をした公演は、全13公演中3公演のみだった。
3公演のみ、という表現は誤っているのだろう、これはただの怠慢だった。
(怠慢だということは元々わかっていたが、それを痛感した。)

 

とても悔しかった。
悔しすぎて悔しすぎて涙が出そうになった。

 

ここまで彼女を応援してきて、大事な場にいられない自分が情けなかった。

 

しかし、彼女の発表の瞬間を見られなくて、悔しくて涙が溢れそうになるほど、私は彼女のことが好きなのだと気づいた。

 

麻倉ももさんに手紙を書いた。
(原文:2018年4月15日 手紙
「ハピネスピース」の初披露の場にいられなくて悔しかったこと。
次の披露の機会を楽しみにしていること。
私のこの悔しい気持ちは、麻倉ももさんのことが大好きな証拠だということ。

 

イベントで新情報を発表するのをやめてほしいとは思わないし、思っていたとしてもそんなことは伝えるべきではない。
ただ、ハピネスピースの初披露の場にいられず、悔しくてたまらなくなるほど、麻倉ももさんのことが好きだと伝えたかった。

 

彼女の活動を熱望しているファンがいること、そして、そんなファンがいるほど麻倉ももって人はすごいのだと伝えたかった。

 

・・・・・・・・・・


それから約半年が過ぎた。


2018年10月3日
麻倉ももさんの1stアルバム『Peachy!』がリリースされた。

 

このアルバムの中に「星空を想えば」という曲があった。

 

この曲を聴くと、満天の星の下、麻倉ももさんが歌っている様子が思い浮ぶ。
まるで、空に輝く遠い星々に、言葉を届けようとしているかのような力強い歌声が印象に残る。

 

ファンが目の前にいることを想定して歌ったと彼女は語った。
そしてライブを想像しながら、会場にいる人だけでなく会場に来られない人にまで想いを届けようと歌ったと言う。
同じ空の下にいるのだから私たちの距離は近いのだとも言った。

 

ああ、彼女は、目の前にいない人のことまで想ってくれているんだ。

 

用事、金銭、場所、動機、年齢etc・・・それぞれの事情で会場にいられない人がいる。
そもそも彼女のことが好きでも彼女がいる現地に足を運ばない人もいる。
その全てのファンに、麻倉ももさんは力強い歌声で言葉を届けようとしていたのだ。

 

半年前に贈った手紙を思い出した。
私は、自分の言葉が一片でも彼女に届いたと感じた。

 

私がこの歌に通ずる手紙を贈っていたからと言って、「星空を想えば」が私(個人)に向けられたものなどとはもちろん思わない。
おそらく、私が贈ったような手紙がこれまでたくさん届いていたのだろう。
彼女はたくさん寄せられた気持ちを真摯に汲み取っただけなのだろう。

 

それでも、彼女に届いた言葉の中に、自分の言葉もあるのだと思うと嬉しかった。

 

彼女は元々アーティストになりたくて声優になったわけではない。
声優という職業が、キャラクターに声を当てるだけでなく、本人として話す、歌う、踊るといったことなども求められるマルチタレント化していることを知らずに業界に入った。

 

彼女が音楽活動をする経緯は、
たまたま彼女が所属した事務所が音楽活動に力を入れている事務所だっただけ。
そして、たまたま麻倉ももさんに人を惹きつける才能、人を集められるパフォーマンスができる才能があっただけだ。
(彼女の努力を踏まえた上で才能があると言っている)

 

麻倉ももさんは、ソロアーティストデビューが決まった後も、自分がやりたいことなどの見通しがなかったため、ソロの音楽活動に消極的であった。

 

そんな彼女が、今ではソロアーティスト活動の思い出が、ファンの応援が、 "空一面の星になって鳴り響いている" と歌っている。
応援が彼女の力になったと感じた瞬間を、私はこの目で何度も見てきた。
だからこそ、これがただのファンサービスの言葉ではなく、伝えたい本心を語っているのだと思うことができる。

 

『星空を想えば』 歌詞(一部抜粋) 

哀しいことがあっても
涙こぼれそうでも
大丈夫だよって チカラをくれる
一緒にいた日々が 空一面の 星になって
鳴り響いてるよ

 

作詞:Mahiro、作曲:草野将史、歌:麻倉もも

  

私は、少しでも「楽しい」と思ってもらいながら、「やってよかった」と思ってもらいながら彼女に活動を続けてほしい。
もしかすると、今彼女はやりたくもない仕事をしているかもしれない。
彼女は自分がした選択や仕事が正しいのかどうかわからず不安になっているかもしれない。


彼女が活動を示すのなら、私はそれを全力で楽しもうと思った。
それが私にできる最善の応援の仕方だと思った。

  

 

「星空を想えば」を聴いて、彼女は私が放つか細い光を受け取ってくれているのだと感じた。
これほど嬉しいことはない。

 

今の麻倉ももさんは、彼女なりのやりたいことを見つけ、前を向いて進んでいる。
以前、たまに見せていたような弱った姿は見せなくなった。
私の今の彼女の印象は、「強い女性」だ。
とても強い人だ。
彼女の心には、青空が広がっているのだろう。

 

この先、彼女が、ファンの・・・私の応援を必要とすることがあるのかはわからない。

 

だが私は、もしも彼女が迷ったときのため、何よりも彼女が迷わず前に進めるように、彼女の心の空に輝く小さな星であり続けたい。