「手紙」 オタク雑記2021年1月

麻倉ももさんは、前の年に住所を併記して手紙を出したファンにお返しとして年賀状を送る。

 

同じ事務所に所属する夏川椎菜さんによれば、事務所は関係なくデザイン・住所の管理を自分で行い、自腹で送っているのだそうだ。事務所主導でも嬉しいと思うが、自分の時間を割いてデザインや住所の管理をして数百人からは届いていると思われる手紙に対し、自腹を切って年賀状を送っていると思うと、言い表すのが難しいほどありがたいものだ。

去年までは直筆のサインが付いていて、2016年までは直筆のメッセージまで添えられていた。

今年はサインが直筆ではなかったみたいだが、"手間がかかるから" というよりも昨今の状況を鑑みて、"なるべく年賀状を触らないで送るほうがよいと考えた" んじゃないかと思う。本当の意図はわからないけどね。

年賀状のお返しを何年も続けているのを鑑みるに、手紙は麻倉さんにとって多かれ少なかれ意味のあるものなんだろうと思う。

 

良いか悪いかはわからないが、僕はまあまあな手紙魔で、イベントの度に手紙を書いていた時期もあった。時には2週間、1週間ごとに手紙を出したこともあった。

自分のもの以外にもかなりの数の手紙が届いてるだろうし、自分の手紙を読んでもらえてる保証はない。それでも届けなきゃ届かないので、自分が見たもの感じたことを書いて送った。

最初に挨拶を書き、ハンドルネームを名乗り、読みやすいように話のまとまりごとに行間を空けて、文字は大きく丁寧に、負担にならないようにレターセットの紙をなるべく2枚まで、多くても3枚目の半分までの文量で。最後にはハンドルネームと本名、日付を添える。試行錯誤して、そんな形式に落ち着いた。500文字くらいかな。さらっと読めるくらいの文量だ。短い分、伝えたいことが伝わるように、何を伝えたいのか自分に問いながら書いた。

 

なぜたくさん手紙を出したのという話。

麻倉さんは口下手で発言や行動をからかわれることが多かった。(僕は彼女が口下手とはあんまり思ったことはないんだけど、そのときの風潮としてはそうだった。)

イベントのMCで麻倉さんが気持ちを伝えようとしているのに、どこからともなく起こる笑いが嫌いだった。同じステージに立つ出演者が笑ってても雨宮天さんだけは笑わずに話を聴いていたりして、この人は麻倉ももの理解者なんだなと思った。

こんなことを書くと僕が "麻倉さんの話は何でもかんでも笑わずに真剣に聞け" って押し付けたい人みたいだけど、そうじゃない。笑い飛ばして良い話と耳を傾けて聴いたほうが良い話があるよねという話。

それから、「もちょはもちょ」なんて簡単に形容されてばかりなのも少し不満だった。確かに麻倉さんの魅力を言葉にするのは難しいので、仕方ないとも思っていた。

彼女がこういう風潮を本心でどう受け止めていたのかは知らない。気にしないときもあれば、楽しんでいるときもあれば、わざとぼけているときもあれば、不服なときもあったと思う。

 

大好きな地元・福岡を離れ、大好きな家族も置いて単身で上京し、18歳で社会人になった彼女を、僕はカッコいいと思った。

仕事なんてクソだと思っていた。社会人になんてなりたくないと思いながら大学生活をしていた。そんな僕の目には、子供っぽいと揶揄される麻倉さんがハツラツと仕事をしている姿が輝いて見えた。

社会に怯える僕よりもずっと強く生きる彼女を子供っぽいとは思えなかった。仕事をしながら "生きていて楽しい" と話す彼女は眩しくて、憧れた。

彼女には輝いたままいてほしい。彼女には "この仕事をやって良かった" と思ってほしい。どうやったらそう思ってもらえるかなと考えたとき、"伝える" しかないと思った。彼女が紡ぐ言葉、行った仕事をちゃんと受け取って、ちゃんと伝える。からかわれることの多かった彼女を見て、"僕はちゃんと受け取るんだ" と意気込んでいた覚えがある。今思うと少し恥ずかしいけれど。

 

"あなたのこの活動を見た。ここが好きです。"

"こんなことを言ってたね。あなたのこういう気持ちが伝わってきた。"

僕の手紙の内容のほとんどはこんな感じだった。かなり浅い内容だったかもしれない。麻倉さんにはとにかく "ちゃんと見てる人がいるよ" と伝えることが大事だと思った。まぁ時には的外れなことを書いたかもしれないし、どうでもいいことを書いたかもしれない。ただ、何通かに1通くらいは彼女にとってプラスになるような手紙があれば良いなと思った。続けていると次第に伝えたい言葉が溢れるようになった。書いても書いても伝えたいことが出てきて、話題を選ぶのが大変だった。

溢れる言葉をどうにかしたかったので、麻倉さんが掲載された雑誌の懸賞はがきにも何かしらの感想を書いて送った。書く内容は麻倉さんのことばかりだった。文章を雑誌に載せてもらったり、懸賞が当たったりと嬉しいことも起きた。懸賞当選に関しては感想が効いたのかただの運だったのかは知らん。

この、どこへでも良いから "手紙を送る" というのが彼女の活動に貢献できる最善の方法だと思ったし、今でもそう思っている。

 

何かを感じる。気持ちをしたためる。自分の気持ちが明確になっていく。気持ちを伝播させる。手紙を書くこの一連の行為は尊いものだと思う。

たまに "書きたいけど語彙力がない" と言って手紙を書かない人を見る。「好き」「楽しかった」それだけでいいと思うんだ。必要なのは誠実さだけ。

自分が昔送った手紙の下書きを読み返すと、大したことなんて書いてないのに「コイツ本当に楽しそうだな」と思う。楽しい時に単に「楽しい」と書けば本当に楽しそうに見える、言葉ってのはそういうもんだと思う。今の感情は今にしかないんだし、簡単でも良いから言葉にして残したり伝えたりするのはとても大切なことだと思う。

手紙を送ったことのない人は送ってみると良いよ。麻倉さんに限らず、好きな人にね。結構楽しいよ。

 

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2020年、僕は麻倉ももさんに年賀状も手紙も出さなかった。

ほとんどの活動は追っていた。何よりも、2020年は麻倉さんの久方ぶりのソロライブがあった。

 

11月に開催されたソロライブはこれまでとは違う様子のライブだったが、とても素晴らしいライブだった。本当に幸せな時間だった。間違いなく今年一番楽しい時間だった。

この気持ちを伝えようと、レターセットを取り出した。4月からのツアーで使おうと思って買ったものだ。ツアーが中止になったので、新品のまま仕舞ってあった。

 

・・・・・・書けない。 

いつまで経っても書けなかった。少し前まで無限に湧いていた言葉がうまく紡げなかった。話題をリスト化して優先順位をつける。自分が何を伝えたいのか明確にする。そんなこんなしても麻倉さんに伝えたい言葉が紡げなかった。

何を書いても上の空な言葉の羅列、送りたいと思えない。

 

「今年は1通も手紙を出してないし、来年年賀状を送ってもらうにはとりあえず出さないとな」

そんな考えが頭を過った。心底呆れた。このとき、僕はこの手紙を出すべきではないと思った。

 

彼女の存在はどんどん大きくなっているのに、今の自分は・・・・・。

 

 

 

 

2021年の年始、実家から自宅へ戻り開けたポストの中には、近所のお店のチラシが入っているのみだった。

「ああ、本当に去年僕は麻倉さんに手紙を書かなかったんだな」

よくわからない喪失感と寂しさがそこにあった。

 

 

 

でけえ人間になろう。

次に麻倉さんに手紙を書きたいと思ったとき、伝えたい言葉を紡げるように。

 

2021年1月